3.11市民ネット深谷のブログ

脱原発をメインにメンバーが気の向くまま書きます。

井戸の茶碗

原子力規制委員会は2月12日、高浜原発3、4号機について、新規制基準を満たすと認める「審査書」を決定し、関西電力の申請を許可しました。川内原発に続く再稼働への突破口としたいのでしょう。つくづく思うのですが、原子力発電所の再稼働に向けて蠢く人たち(原子力ムラの面々)には、人間としての良心があるのでしょうか。原子力規制委員会は、もしもの時の責任は誰も取らない仕掛けを担保する機関でしょう。もしかしたら、彼らには良心という言葉がないのかも知れません。

ところで、今回はいささか趣旨を変えて落語を紹介します。このホームページやFnetTimeの読者であり、私たちの活動を応援してくれていたTさんが急逝しました。彼の影響で、最近は彼の代わりに落語を聴く機会が増えました。亡くなる4日前も、仕事を終えてそそくさと落語を聴きに水天宮まで行きました。お目当ては春風亭一之輔の「井戸の茶碗」です。一之輔は、年が明けてもまったくいいことがないとぼやいていましたが、人間の良心をどこかに忘れてきちゃった人ばかりが政治を繰り広げている昨今、せめて古典落語の醍醐味を届けたいと思います。Tさんの追悼です。お付き合いください。

井戸の茶碗(あらすじ)

屑屋の清兵衛は正直者で通っています。この日も「屑~い、お払~い」と流し歩いていると、身なりは良くないが品のある娘に声をかけられます。ついて裏長屋へ行くと、父親の千代田卜斎から、屑の他に仏像を200文で引き取ってもらいたいと頼まれます。清兵衛は、目利きに自信がないと断るのですが、昼は近所の子どもたちを集め素読の指南をし、夜は売卜(占い)をしているが、病気の薬代など金が足りないので、どうしても引き取ってもらいたいと懇願されてしまいます。結局、清兵衛は200文で引き取り、それ以上で売れた場合は、儲けを折半したいと自分を納得させます。

その仏像を籠に入れ、「屑~い、お払~い」と流し歩いていると、細川屋敷の長屋下を通りかかったところで、高木佐久左衛門という侍に声をかけられます。「カラカラと音がするから、腹籠(ごも)りの仏像ということで、縁起が良い」と、その仏像が300文で売れました。

佐久左衛門は、汚れを取ろうと仏像を磨いていると、台座の下の紙が破れ、中から小判が50両出てきました。中間は喜びますが、佐久左衛門は「仏像は買ったが、中の50両まで買った覚えはない。仏像を売るくらいであるからよっぽどのことであろうと、元の持ち主に返したい」と言います。しかし持ち主が分からないため、この仏像を売った屑屋を探すことなります。

そのうちに屑屋達の間で、佐久左衛門が屑屋の顔を改めていることが話題になり、おそらく「父親の敵捜し」ではないかとか好き勝手な噂が語られるようになります。そこへ清兵衛が現れて、仏像を売ったことを話すと、「仏像を磨いていたら首が折れてしまった。縁起でもない、これを身共に売った屑屋も同じ目に遭わせてやる」と、おまえを捜しているんじゃないかと脅されてしまいます。

清兵衛は、細川屋敷の長屋下は静かに通ろうと気をつけるのですが、商売癖でつい「屑~い、お払~い」と声を出してしまい捕まってしまいます。首を切られるかと怯えた清兵衛でしたが、佐久左衛門から理由を聞き、卜斎の元へ50両を持っていくことになります。

ところが卜斎は50両を前にして、仏像は売ってしまったのだから、私のものではないと、受け取りません。清兵衛は、「この50両があれば、お嬢様にもっとよい着物を着させることもできる」と説得を試みますが、刀に代えても受け取らないと突っ返されてしまいます。

清兵衛は佐久左衛門のところに50両を持って帰りますが、こちらでも受け取るわけにはいかないと突っ返され、困り果ててしまいます。そこに裏長屋の家主が仲介役に入り、「千代田様へ20両、高木様へ20両、苦労した清兵衛へ10両でどうだろう」と提案します。しかし、卜斎はこれを断り受け取りません。そこで、「20両の形に何か高木様へ渡したらどうだろうか」という提案をします。卜齋は仕方なく毎日使っていた茶碗を渡し20両受け取ることにしました。

この話が細川の殿様に聞こえることとなり、その茶碗を見てみたいとなります。佐久左衛門は、汚いままでは良くないと思い、一生懸命茶碗を磨き、細川の殿様に差し出しました。すると、側に仕えていた目利きが「井戸の茶碗」という逸品だと言い出します。殿様はその茶碗を300両で買い上げることになります。

佐久左衛門は300両を前にして、もらうべき金ではないと困ってしまいます。「このまま千代田様へ返しても絶対に受け取らないであろうから、半分の150両を届けて欲しい」と清兵衛に頼みます。しかし清兵衛は「50両で斬られかかったのだから、150両も持っていったら大砲で撃たれてしまう」と断りますが、佐久左衛門に切願され、しぶしぶ卜齋に150両を持って行きます。卜齋はまたも受け取るわけにはいかないと断わりますが、困り果てた清兵衛を見て、「今までのいきさつで高木様がどのような方かはよく分かっている。娘は貧しくとも女一通りの事は仕込んである。この娘を嫁にめとって下さるのであれば、支度金として受け取る」と言います。
清兵衛は、佐久左衛門に経緯を伝えると、千代田氏の娘であればまずまちがいはないだろうと、嫁にもらうことを決めます。そこで清兵衛が、「今は裏長屋で粗末ななりをしているが、こちらへ連れてきて一生懸命磨けば、見違えるようにおなりですよ」と助言します。

落ちは、「いや、磨くのはよそう、また小判が出るといけない」

この落語、主役の3名である屑屋の清兵衛、浪人の千代田卜齋、細川家の家来である高木佐久左衛門、みんな善人です。人間としての良心を持っている人たちなんです。決してこじつけではないのですが、原子力ムラの面々に聴かせてあげたい落語です。

東京ブラックアウト

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今年もよろしくお願いします。
311市民ネット深谷は、今年も地域に根ざし、地域から脱原発
声を上げ続けます。

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「東京ブラックアウト」若杉 冽(講談社 

福島第一原子力発電所の事故に伴う大規模な放射能汚染により、未だに15万人あまりの人たちが避難しています。放射能汚染については、福島だけの問題ではなく、広く関東平野も汚染され、あちこちにホットスポットが出現しています。このような状態のまま年が明け、4年が経とうとしています。

本書は「原発ホワイトアウト」の続編ですが、フクシマで覚醒できなかった日本人への警告書と言えるでしょう。秩父人のダニーさんではないですが、「覚醒せよ日本人!」と叫びたくなります。

巻頭に、旧西ドイツ大統領ワイツゼッカーの「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」との有名な言葉が記されています。今の日本の政治風景やマスメディア、電力業界などは、まさに盲目的に再稼働に突き進んでいます。そこには、フクシマの反省もなく、電力の安定供給でも、電力コストの低減化でもないことは明らかです。本書曰くの「電力モンスターシステム」による錬金術と、そこから編み出される潤沢な資金をバックにした政治の私物化にあります。中央のキャリア官僚は、出世と権益確保にあけくれ、行政は彼らの論理でしか仕事をしません。

作者はキャリア官僚だそうです。私もこの世界には若干接触がありまして、彼らの思考方法や政治的な動きはよく分かります。しかし、中には市民目線で仕事をしている官僚もいなくはないのですが、本書に登場する役人たちは酷いですね。原発行政を進めている人たちは、このような者たちなのでしょう。絶望的になります。

内容に若干触れますと、原因と結末の想像力は稚拙な感じは否めないのですが、柏崎刈羽原発が爆発してしまい、高濃度の放射性プルームは関東地方を襲い、群馬、埼玉、東京と人が住めなくなってしまいます。フクシマの汚染の比でない高濃度汚染が、何の前触れもなく襲ってくるのです。停電により情報が届かない人たち、子どもたちは被ばくしてしまいます。

印象的なシーンがあります。

北風で有名な群馬県高崎市では、幼い兄妹が久々の雪に歓声を上げていた。

「お兄ちゃん、雪が降ってきたよ!」

「本当だ、テレビもまだ点かないし、ゲームの電源も切れているから、庭で遊ぼうよ」

「雪だるまつくろう、雪だるま」

(略)

その両親が留守のあいだ、子ども二人は、庭で思う存分に遊んでいる。

「今日の雪はずいぶんと黒っぽいね、お兄ちゃん」

「そうだね、ちょっと黒砂糖みたいな色だね」

「ちょっと舐めてみようか、もしかしたら甘いかも・・・・・」

「うん」

兄と妹は口に雪を入れた。しかし、予想に反して、金属と酸の入り混じった味がする。

「・・・・おいしくないね」

ペッ、ペッ、と二人はすぐに吐き出した。

(略)

数時間後、黒い雪だるまが完成する頃に、急性放射性障害で毛髪が抜け始めることを、この二人はまだ知らない。両親が帰宅するときには、子どもの髪の毛は、ほとんど抜けてしまっているだろう。(第9章 黒い雪の一部を引用)

政治家、高級官僚、電力業界幹部たちの家族は、すでに海外に避難しています。国の機関や大企業は東京から関西に、そして天皇も皇居から京都御所に避難します。そんな事態になっても、電力業界や既得権益の権化となった政治家、官僚たちは、発送電分離を阻止すべく暗躍します。

作者は、最後の最後に天皇に期待しますが、そうはうまくいきません。これは山本太郎園遊会の手紙(直訴)からきているのですが、この電力モンスターシステムには、天皇も太刀打ちできません。

最後にこんな一文があります。

家が朽ちてもシロアリは生き残る。日本が放射能汚染にまみれても、電力マネーに群がる政治家や官僚は生き残る・・・・・。

そして、今上天皇への請願の送付先が書かれています。今や天皇がリベラルに見える時代です。最後の拠り所が天皇とはと思うのですが、作者は、それだけ現状への絶望感、閉塞感が強いのでしょう。

本書に書かれた内容は、誰しも想像力を働かせれば分かることです。一人でも多くの人たちに読んでもらいたい一冊です。(仁)

川内原発再稼働に反対しよう!

国内の原発(48基)すべてが稼働していない状態で1年以上経過しています。この間、電力が足りなくなったことがあったでしょうか。
安倍政権は、川内原発を皮切りに、原発の再稼働をもくろんでおり、着実に駒を進めています。福島原発事故の原因が未だ分からず、事態の収束もままならならい状況で、彼らは何に駆り立てられているのでしょうか?

彼らのレトリックは、子どもだましそのものです。それに対して大手マスコミは、そのまやかしを暴こうとはしていません。国民も借りてきた猫のごとく従順に見えます。各種世論調査では、原発反対派が多数を占めています。しかし、そのことが安倍政権の方針を変えるまでの影響力とはなっていません。なんとも歯痒いことです。しかし、私たちは見過ごすことはできません。子どもだましのレトリックをそのままにしている大人が、子どもたちの未来を守れるのでしょうか。

2014年7月16日 規制委員会の田中委員長は、「基準の適合性を審査した。安全だということは申し上げない」と述べ、審査は必ずしも原発の安全性を評価したものではないと明確に言っています。

これを受けて、翌日、菅官房長官は、「規制委が責任を持って安全かどうかをチェックするわけだから、その判断に委ねる」と、新規制基準に合格した=安全と言い換えを始めました。一般的に考えれば袋だたきにあうような発言ですが、そうとはなりませんでした。

安倍首相は、2014年9月22日、国連総会の合間に行われたワールド・リーダーズ・フォーラム(ニューヨーク)で「原子力発電所の再稼働について、安全が再び100%確保されない限り行わない」と、国際的に約束しています。と言うことは、川内原発の再稼働は、100%安全が確保されたと言うことになります。(そんなことはあり得ませんよね)

さらに御嶽山の噴火を受けて、安倍首相は、川内原発の再稼働について、桜島などが御嶽山よりはるかに大規模に噴火した場合でも、安全性は確保されていると強調しています。これは、民主党田城郁参院議員が、「予知不能であったこの噴火は、自然からの警鐘として受け止めるべき。川内原発の再稼働を強引に推し進める安倍政権の姿勢を認めるわけにはいきません」とただした答弁で、「桜島を含む周辺の火山で今般、御嶽山で発生したよりもはるかに大きい規模の噴火が起こることを前提に、原子炉の安全性が損なわれないことを確認するなど、再稼働に求められる安全性は確保されている」、「いかなる事情よりも安全性を最優先させ、世界で最も厳しいレベルの規制基準に適合した」(2014年10月3日)と強調して、川内原発の再稼働は、火山の噴火如きでは止められないという姿勢を明らかにしています。

規制委員会の田中委員長は、安全だとは言っていません。しかし、判断するのは政治だとも言っています。安倍首相や管官房長官は、規制委員会の新規制基準に合格したのだから、安全のお墨付きが得られたとの言い換えを巧みに行い、既成事実化を謀っています。これって、国民に対する重大な背信行為ではないでしょうか。

ところで、鹿児島の伊藤裕一郎知事は、2014年11月7日記者会見して、九州電力川内原発1・2号機の再稼働について「やむを得ない」と再稼働の同意を表明しました。もしもの時に鹿児島県民の命や九州や西日本全域に被害がおよぶ可能性があるにもかかわらず、「やむを得なかった」ですますことができるでしょうか。大変無責任な言葉だと思います。一方この言葉こそ再稼働を進めている安倍政権の強引さを見事?に現していると言えましょう。原発事故が発生して福島と同じよううな事態になったとしても「やむを得なかった」で、安倍首相も管官房長官も宮沢経産大臣も鹿児島県知事も薩摩川内市長も田中規制委員会委員長もすますのでしょうか。

何回も言いますが、規制委員会の田中委員長は、新規制基準に合格したこと=安全だとは言っていません。安倍政権は、新規制基準に合格したのだから安全だと言い換えごまかしています。そして鹿児島県知事は「やむを得ない」と。要するに、何が何でも再稼働に持って行きたいという願望を具現化するために、規制委員会、安倍政権鹿児島県薩摩川内市大芝居を打っていると言うことです。こんな田舎芝居に大手マスコミは、足腰が重く、結果として、安倍政権のいいなりのように思えてなりません。

私たちは何度でも言います。子どもだましには引っかからないぞ!
誰が「安全だ」と言ったのかも永遠に胸に留めるぞ!

簡易除染の巻

深谷市の一般住宅(上野台)で簡易除染を行いました。なぜ簡易かというと、敷地や建物、敷石や置石などから、本格的な除染をするには相当の費用がかかるため、依頼主と話し合い、とりあえずホットスポットの線量を下げることにしました。

1.ホットスポット(母屋と離れの間奥の雨どいの下)

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この雨どいは、2階の屋根の南面の雨だけが落ちるようになっています。雨水ますや下水はなく小石が敷き詰められて土に染み込むようになっていて、石が流れないような工夫がされています。おそらくこれが原因で、雨水がこの場所にとどまりセシウムが濃縮されていると思います。2014年8月2日(土)で、国の除染基準0.23μSv/hを超え0.277μSv/hです。そして、スペクトルからもセシウムのピークがはっきり読み取れます。(測定器:ホットスポットファインダー(HSF)、地上5cm、60秒の平均値)

2.小石と土の撤去
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まず庭の片隅に撤去した小石や土を入れる大きな穴を掘りました。そして現場の小石や土を撤去して、その穴に入れていきます。周りにある大き目な石が邪魔して、思ったより撤去できませんが、約10cm掘りました。計測すると0.101μSv/hまで下がりました。本来ならもう少し撤去したいのですが、暑さもありあきらめました。

3.砂と小石で埋め戻す

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ここで休憩して、ホームセンターに行き砂と小石を買います。HSFで、ホームセンターに置いてあるすべての砂と小石を計測して、それぞれ一番低い値のものを買いました。ちなみにこの日においてあった砂や小石は、0.04μSv/h~0.09μSv/hで、産地や種類により計測値に相当の開きがありました。砂も小石も購入したのは、0.04μSv/h前後で、それぞれ30kgです。金額は、2196円でした。測定値は0.063μSv/hになりました。

4.そしてセシウム墓?
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写真では確認しにくいのですが、掘った穴にセシウムに汚染されている小石と土を入れ、上から土をかけたことで、こんもりと小山ができました。直置きで計測すると、0.066μSv/hでした。ひとまず、除染は成功ですが、半年後くらいに測定することにしました。

ここは、深谷市内のごく普通の住宅です。おそらくどの家も、特に雨水がたまりやすいような場所は、セシウムが濃縮され、ホットスポットになっている場所はあると思います。福島第一原子力発電所から約200km離れた深谷市も少なからず汚染されました。3年以上経過して、放射能のことを気にする人は少なくなっていると思います。しかし放射能は消えていないのです。きちんと測定すると、汚染状況を確認できます。私たち、3.11市民ネット深谷およびHSF市民測定所深谷は、このように放射能見える化を進めています。(jin)

放射能汚染地図の今

著者;木村真三(放射線衛生学者・獨協医科大学准教授)
発行;講談社

福島第一原子力発電所の事故に際し、「ただちに影響はありません」という枝野官房長官の言葉があまりにもむなしく、私は、福島の放射能汚染はどうなっているのか、そして、自分が住んでいるこの場所の汚染度合いはどのくらいかと、事故の成り行きとともに、歯がゆい思いをしていた。そんな中、NHKのETV特集で「ネットワークで作る放射能汚染地図」が放映された。この本の著者である、木村さん、放射線測定の権威だという老齢な岡野さん、そして京大の今中さんだったか、浪江町の赤生木(あこうぎ)地区での測定で、あまりにも高い放射線量に唖然としていた彼らの映像が印象深く、やはり半端じゃないくらい汚染されているのだと確信した。このシリーズは、何回か続編が放映されたが、放射能汚染と向き合わざるを得なくなった私たちに、必要な情報が隠されているなかで、真に必要な情報を提供してくれたと思う。

その木村さんだが、福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発した2011年3月12日の翌日、国の研究機関に辞表を提出し調査を開始したという。そして、「私は2013年6月に福島県内に家を借り住民票も福島県に移して正式に福島県人になった。いまだに解決されていない問題に、長期的に取り組むためである。放射線衛生学の専門家として言えることは、福島第一発電所事故は終わっておらず、ここに住む人々や避難した人々は少なからず心身の痛みや不安を抱え、いまだに真相のわからない被害に立ち向かっているということだ。そして、この問題は、地元の友人の言葉を借りれば「核害=核の公害」であり、いつまで続くか分からない。だからこそ、腰を据えて向き合い検証してゆく必要がある」と、ご自身の立ち位置を明確にしている。

読み進めていくと、改めて私たちが押さえておくべき事実が明らかにされる。3月14日午前11時に3号機の水素爆発があり、翌15日午前10時過ぎ、木村さんが住んでいた東京台東区のマンションのベランダで空間線量率を測ると1マイクロシーベルトを超えていた。東京でこの数値なら福島ではもっと高いはずだ、おそらく地元の人たちは高い放射線量を知らずにいる。健康被害がでる可能性もあるとして、午後には福島に向かったという。

最初の爆発の前に、大熊町浪江町モニタリングポストの値が、なんと1.59ミリシーベルトを記録していたという。これはベントによって放射能を排出させたことによるのだが、住民には知らされなかった。SPEEDIもそうなのだが、住民を守るための情報が隠されてしまう。先ほどの赤生木地区の値だが、木村さんたちが計測したデータは住民に知らされた。住民たちは、その値をもとに協議し、避難することを決めた。それまで、国などの機関が調査に来ていたが、線量を知らせることが無かったらしい。

第三章の放射能がもたらす分断は、悩ましい問題だ。想像はしていたが、やはり大きな陰を落としている。木村さんは、無かったことにしようとする危険性については言及しているが、問題提起にとどまっている感じだ。言えることは、放射能汚染という現実が、人間の関係性までもズタズタにしてしまうという事実だ。これを読むだけでも原子力発電を続けたいという人たちが、如何に無責任で犯罪的であるかということが分かる。

木村さんは、いわき市の志田名地区で住民による住民のための汚染地図づくりの指導や、市民科学者養成講座を主催している。特に二本松市では、市のアドバイザーを勤めるとともに、NPO法人放射線衛生学研究所」と彼の所属する獨協医科大学国際疫学研究室の分室を設けて、現地で活動し続けている。本書の帯に書かれているが、福島で被災者とともに闘い続ける科学者の3年におよぶ真実の記録なのだ。

この本を読んで感じることは人それぞれと思うが、私は、放射能汚染された大地に住み生きるには、私たち一人ひとりが、自分を守るために、子どもたちを守るために、放射能汚染についてそれなりの専門家(プロの研究者ではない)になる必要があるということだと読み取った。(今仁
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大飯原発差し止め判決要旨

2014年5月21日、福井地方裁判所は、大飯原発の差し止めを命じました。画期的な判決です。以下に要旨をNPJのサイトから転載します。

大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨

主文

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

1 はじめに

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断す’ることはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1)  原子力発電所に求められるべき安全性

 1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

 新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係

 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

4 原子力発電所の特性

 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

 したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある。

5 冷却機能の維持にっいて

(1) 1260ガルを超える地震について

 原子力発電所地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

 しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、①我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、②岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、③この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、④この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

 被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

 しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

 深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

 また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

 第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

 第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

 第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

 第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

 第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

 第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

 弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

 このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、①主蒸気逃がし弁による熱放出、②充てん系によるほう酸の添加、③余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性につしてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

 原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

 被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。

ア 冷却水喪失事故について

 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に囲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について

 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明

    裁判官 三宅由子

(3.11市民ネット深谷;今仁)

HSFで遠出の巻き

深谷に続き、熊谷公園放射線マップ作成プロジェクトの計測が終わったこともあり、たまたま野暮用で宇都宮に行く機会に、高速道路と日光を測定しました。

私たちが使用しているHSF(ホットスポットファインダー)は、高性能なGPS連動放射線測定器で、スペクトル表示機能等あり、福島第一原発由来の放射線かどうかなどもわかります。筆者はまだまだ勉強不足のため、微妙な見極めはできませんが、この測定器の威力は抜群で、国などの機関が役割を果たさない以上、私たち一般市民が、私たちの生活地域での汚染度を知り、子どもたちや自らを守るためのツールとして威力を発揮します。

1.高速道路編
車での測定の場合、放射線が遮蔽されるため、計測する車の補正係数を押さえる必要があります。私の車は、自宅周辺を徒歩と車で走った差と車の中と外での15秒間の定点測定をして、1.4という係数にしました。メンバーのKさんの車の係数は1.3だそうです。検出器の位置は地上から1mに固定しました。また、高速で走るため内蔵GPSがきちんと機能するのか、放射線検出に支障がないのか等興味がありました。
(1)羽生SAから鹿沼IC(東北自動車道下り)
    ①車内実測値の移動平均  0.041μSv/h
     ②移動平均の補正値    0.061μSv/h
(2)日光ICから北関東自動車道の途中まで

   (日光宇都宮道路→東北自車道上り→北関東自動車道
    ①車内実測値の移動平均  0.046μSv/h
     ②移動平均の補正値    0.064μSv/h
結果からすると、まず、GPSはきちんと機能し、トンネルの通過も問題ありませんでした。肝心の放射線量ですが、補正後の値をみると、埼玉北部地域とそれほど変わりませんでした。
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2.日光編
ついでの計測だったので、計画を練って行ったわけではないのですが、結構おもしろい値がでました。ルートは、二荒山神社駐車場→東照宮、奥宮→東照宮東照宮二荒山神社二荒山神社→駐車場です。

測定日は5月17日(日)で、小学生の修学旅行団体や外人環境客など沢山の人たちで賑わっていました。ちょっと信じられないのが、家康の墓所である奥宮への階段が大渋滞だったことです。上りでの計測はあきらめて下りのみとなりました。
肝心の測定結果の報告の前に、久しぶりに訪れた東照宮の感想です。

神仏習合が今でも色濃く残る宗教建造物群ですが、ここの絢爛豪華さを目の当たりにすると、神社とは言いがたい感じがします。戦国時代を勝ち抜き、江戸に幕府を開いた徳川家康を神として祀り、徳川の安寧と江戸の鎮護を目的に、天界僧正が計画し3代将軍家光が造り上げた荘厳な極楽浄土の世界であったのではないでしょうか。ともあれ、日光という山の中に造られた建造物群は壮観で、どれほどの巨費と労働力が注ぎ込まれたのか想像もできないほどです。
世界遺産に登録されたことから外人観光客が目立ちます。昔、仕事の関係で海外からのお客さんに関東近辺の観光地をどこか組み込むと、日光というリクエストが多かったのを思い出しました。また、相変わらず小学校の修学旅行は多いようで、この日も鎌倉から訪れたという子どもたちが、グループ単位で元気よく動き回っていました。

測定結果ですが、日光東照宮は全般的に深谷や熊谷より低い値を示しました。一番高かったのは奥宮でしたが、それほどではありませんでした。ただ、0.07µSv/hくらいでもセシウムのピークは確認できますので、当然汚染されていると思います。国際的な観光地ということもあり徹底した除染が行われたのではないでしょうか。対照的だったのが、二荒山神社です。隣同士なのですが比較的高い値が計測されました。0.1µSv以上になると警告音が鳴るようHSF設定してあることによるのですが、あちこちで警告音がなりました。0.13µSv/h位のところでスペクトルを確認すると、東照宮ほど明確なピークはありません。参道の敷石に影響されている部分もあるかと思いました。しかし、石とは関係ない社の裏側などでも高い値が観測されましたので、おそらく東照宮ほどの除染はされていないのではと思った次第です。(今仁)