3.11市民ネット深谷のブログ

脱原発をメインにメンバーが気の向くまま書きます。

井戸の茶碗

原子力規制委員会は2月12日、高浜原発3、4号機について、新規制基準を満たすと認める「審査書」を決定し、関西電力の申請を許可しました。川内原発に続く再稼働への突破口としたいのでしょう。つくづく思うのですが、原子力発電所の再稼働に向けて蠢く人たち(原子力ムラの面々)には、人間としての良心があるのでしょうか。原子力規制委員会は、もしもの時の責任は誰も取らない仕掛けを担保する機関でしょう。もしかしたら、彼らには良心という言葉がないのかも知れません。

ところで、今回はいささか趣旨を変えて落語を紹介します。このホームページやFnetTimeの読者であり、私たちの活動を応援してくれていたTさんが急逝しました。彼の影響で、最近は彼の代わりに落語を聴く機会が増えました。亡くなる4日前も、仕事を終えてそそくさと落語を聴きに水天宮まで行きました。お目当ては春風亭一之輔の「井戸の茶碗」です。一之輔は、年が明けてもまったくいいことがないとぼやいていましたが、人間の良心をどこかに忘れてきちゃった人ばかりが政治を繰り広げている昨今、せめて古典落語の醍醐味を届けたいと思います。Tさんの追悼です。お付き合いください。

井戸の茶碗(あらすじ)

屑屋の清兵衛は正直者で通っています。この日も「屑~い、お払~い」と流し歩いていると、身なりは良くないが品のある娘に声をかけられます。ついて裏長屋へ行くと、父親の千代田卜斎から、屑の他に仏像を200文で引き取ってもらいたいと頼まれます。清兵衛は、目利きに自信がないと断るのですが、昼は近所の子どもたちを集め素読の指南をし、夜は売卜(占い)をしているが、病気の薬代など金が足りないので、どうしても引き取ってもらいたいと懇願されてしまいます。結局、清兵衛は200文で引き取り、それ以上で売れた場合は、儲けを折半したいと自分を納得させます。

その仏像を籠に入れ、「屑~い、お払~い」と流し歩いていると、細川屋敷の長屋下を通りかかったところで、高木佐久左衛門という侍に声をかけられます。「カラカラと音がするから、腹籠(ごも)りの仏像ということで、縁起が良い」と、その仏像が300文で売れました。

佐久左衛門は、汚れを取ろうと仏像を磨いていると、台座の下の紙が破れ、中から小判が50両出てきました。中間は喜びますが、佐久左衛門は「仏像は買ったが、中の50両まで買った覚えはない。仏像を売るくらいであるからよっぽどのことであろうと、元の持ち主に返したい」と言います。しかし持ち主が分からないため、この仏像を売った屑屋を探すことなります。

そのうちに屑屋達の間で、佐久左衛門が屑屋の顔を改めていることが話題になり、おそらく「父親の敵捜し」ではないかとか好き勝手な噂が語られるようになります。そこへ清兵衛が現れて、仏像を売ったことを話すと、「仏像を磨いていたら首が折れてしまった。縁起でもない、これを身共に売った屑屋も同じ目に遭わせてやる」と、おまえを捜しているんじゃないかと脅されてしまいます。

清兵衛は、細川屋敷の長屋下は静かに通ろうと気をつけるのですが、商売癖でつい「屑~い、お払~い」と声を出してしまい捕まってしまいます。首を切られるかと怯えた清兵衛でしたが、佐久左衛門から理由を聞き、卜斎の元へ50両を持っていくことになります。

ところが卜斎は50両を前にして、仏像は売ってしまったのだから、私のものではないと、受け取りません。清兵衛は、「この50両があれば、お嬢様にもっとよい着物を着させることもできる」と説得を試みますが、刀に代えても受け取らないと突っ返されてしまいます。

清兵衛は佐久左衛門のところに50両を持って帰りますが、こちらでも受け取るわけにはいかないと突っ返され、困り果ててしまいます。そこに裏長屋の家主が仲介役に入り、「千代田様へ20両、高木様へ20両、苦労した清兵衛へ10両でどうだろう」と提案します。しかし、卜斎はこれを断り受け取りません。そこで、「20両の形に何か高木様へ渡したらどうだろうか」という提案をします。卜齋は仕方なく毎日使っていた茶碗を渡し20両受け取ることにしました。

この話が細川の殿様に聞こえることとなり、その茶碗を見てみたいとなります。佐久左衛門は、汚いままでは良くないと思い、一生懸命茶碗を磨き、細川の殿様に差し出しました。すると、側に仕えていた目利きが「井戸の茶碗」という逸品だと言い出します。殿様はその茶碗を300両で買い上げることになります。

佐久左衛門は300両を前にして、もらうべき金ではないと困ってしまいます。「このまま千代田様へ返しても絶対に受け取らないであろうから、半分の150両を届けて欲しい」と清兵衛に頼みます。しかし清兵衛は「50両で斬られかかったのだから、150両も持っていったら大砲で撃たれてしまう」と断りますが、佐久左衛門に切願され、しぶしぶ卜齋に150両を持って行きます。卜齋はまたも受け取るわけにはいかないと断わりますが、困り果てた清兵衛を見て、「今までのいきさつで高木様がどのような方かはよく分かっている。娘は貧しくとも女一通りの事は仕込んである。この娘を嫁にめとって下さるのであれば、支度金として受け取る」と言います。
清兵衛は、佐久左衛門に経緯を伝えると、千代田氏の娘であればまずまちがいはないだろうと、嫁にもらうことを決めます。そこで清兵衛が、「今は裏長屋で粗末ななりをしているが、こちらへ連れてきて一生懸命磨けば、見違えるようにおなりですよ」と助言します。

落ちは、「いや、磨くのはよそう、また小判が出るといけない」

この落語、主役の3名である屑屋の清兵衛、浪人の千代田卜齋、細川家の家来である高木佐久左衛門、みんな善人です。人間としての良心を持っている人たちなんです。決してこじつけではないのですが、原子力ムラの面々に聴かせてあげたい落語です。