3.11市民ネット深谷のブログ

脱原発をメインにメンバーが気の向くまま書きます。

神様2011

作家、小説家、文学者など肩書きは何でもいいのですが、文筆を生業にしている人たちは、3.11を経過して、自らの仕事にどのように反映させているのだろうかと、常々思っています。大江健三郎さんは、ノーベル賞作家という抜群の知名度を使い「さよなら原発」の先頭に立っていますし、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、辻井喬さんなども名を連ねています。その他にも脱原発の意思を表明している作家の皆さんはたくさんいます。

彼らの活動には勇気づけられますが、ここでは作品について触れていくことにします。最初は、川上弘美さんです。 3.11の後彼女は、す早くデビュー作「神様」を「神様2011」に書き換え発表しました。まず、あとがきを転載します。

「2011年3月末に、わたしはあらためて、「神様2011」を書きました。原子力利用にともなう危険を警告する。という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりむしろ、日常は続いていく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ、という大きな驚きの気持ちをこめて書きました。静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろんこの怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、他ならず自分でもあるのだから。この怒りをいだいたまま、それでもわたしたちはそれぞれの日常を、たんたんと生きてゆくし、意地でも、「もうやになった」と、この生を放りだすことをしたくないのです。だって、生きることは、それ自体が、大いなるよろこびであるはずなのですから。 」

次に内容の一部を比較します。

「神様」
川原までの道は水田に沿っている。舗装された道で、時おり車が通る。どの車もわたしたちの前でスピードを落とし、徐行しながら大きくよけていく。すれちがう人影はない。たいへん暑い。田で働く人も見えない。くまの足がアスファルトを踏む、かすかなシャリシャリという音だけが規則正しく響く。

「神様2011」
川原までの道は元水田だった地帯に沿っている。土壌の除染のために、ほとんどの水田は掘り返され、つやつやとして土がもりあがっている。作業をしている人たちは、この暑いのに防護服に防塵マスク、腰まである長靴に身をかためている。「あのこと」の後は、いっさいの立ち入りができなくて、震災による地割れがいつまでも残っていた水田沿いの道だが、少し前に完全に舗装がほどこされた。「あのこと」のゼロ地点にずいぶん近いこのあたりでも、車は存外走っている。どの車もわたしたちの手前でスピードを落とし、徐行しながら大きくよけていく。すれちがう人影はない。
「防護服を着てないから、よけていくのかな」
と言うと、くまはあいまいにうなずいた。
「でも、今年前半の被曝量はがんばっておさえたから累積被曝量貯金の残高はあるし、おまけに今日のSPEEDIの予想ではこのあたりに風はまず来ないはずだし」
言い訳のように言うと、くまはまた、あいまいにうなずいた。
くまの足がアスファルトを踏む、かすかなシャリシャリという音だけが規則正しく響く。

「神様」は、くまに誘われて散歩に行く短編ですが、この作品の描く日常は、多くの人が希求して止まない世界だと思います。このほんわかした小説に浸ると、子どもの頃の思い出や、もう少しゆとりを持って生きたいな、なんて思いに駆られます。ところが「あのこと」のあと、この世界は変わってしまったのです。何もなかったかのようにしたい人やふるまう人は多いですが、いち早く反応した川上弘美の感性は貴重だと思います。
(今仁@3.11市民ネット深谷)