3.11市民ネット深谷のブログ

脱原発をメインにメンバーが気の向くまま書きます。

俵 万智さん

「この味がいいね」と君が言ったから
七月六日はサラダ記念日

俵 万智さんの名を知ったのは「サラダ記念日」です。当時、与謝野晶子の再来とまで言われ一躍時代の寵児となりました。短歌にほとんど造詣のない私でも、いくつかの歌を思い出します。

「嫁さんになれよ」だなんて
カンチューハイ二本で言ってしまっていいの

なんて自由でポップなのでしょう。ユーミンが1970年代に音楽の世界に新風を吹き込んだように、彼女の歌は鮮烈でした。おそらく1980年代の歌壇に衝撃を与えたことと思います。この俵 万智さんが、東日本大震災に遭遇して、沖縄に避難し、石垣島に移住したことを新聞で知りました。その記事に沖縄の海をバックに書かれていたのが次の歌です。

子を連れて
西へ西へと
逃げてゆく
愚かな母と
言うならば言え

なんと力強い歌でしょう。母の強さが直球でぶつかってきます。私なぞこの歌を前にして何も言えなくなってしまいます。

福島からの避難者は15万人におよぶそうですから、福島以外からの避難者を含めると、おそらく20万人くらいの人たちが、福島第一原子力発電所の事故で西へ東へあるいは海外へ避難していると思います。彼女のようにどこに住んでも生計が立てられる人は希有です。しかし、誰も愚かな母とは言えないでしょう。この歌は、批判や反発覚悟の宣言ともとれます。避難したくとも避難できない人は大勢いるでしょうし、過剰反応と揶揄する人もいるでしょう。

福島第一原子力発電所の事故の収束、原因の解明などほとんど不可能です。にもかかわらず、国や東電など原子力ムラの面々が何事もなかったかのように再稼働を目論んでいます。被曝線量年間20msvまで容認するという政策の中、福島現地では住民同士で深刻な対立を生んでいるとのニュースなども伝わってきます。京大の小出先生は、国の法律で年間被曝線量は1msv以下と決められているのに、20msvなんてとんでもないと言ってます。文科省は、法律に基づくと相当広範囲な対応がせまられることからか、はたまた国の原子力政策への気遣いからか、子どもの命を二の次にした被曝線量の基準を作ってしまいました。根拠は、ICRP(国際放射線防護委員会)の数値です。チェルノブイリを経験した私たちは、低線量被曝の危険性を知っているはずなのに。

俵 万智さんは、子どもの命が大切だという心を愚かというなら「心が愚かじゃないものは何」と突きつけます。日本の原子力政策を変えるのは、未来に命を繋ぐ母親たちの行動にかかっているのかも知れません。この37文字は怒りであり、3.11後の社会に対する楔ではないでしょうか。

(今仁@3.11市民ネット深谷)