3.11市民ネット深谷のブログ

脱原発をメインにメンバーが気の向くまま書きます。

風立ちぬ

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このブログコーナーは、脱原発に関連する内容で構成することになっているのですが(勝手に思っているだけ)、今回は、現在上映中の宮崎駿監督の「風立ちぬ」について感想を書きます。宮崎監督が脱原発を掲げていることは知られていますので、その辺のことは許していただくことにします。

 

まず「風立ちぬ」ですが、私たち世代では聖子ちゃんでなくやはり堀辰雄ですね。ポール ヴァレリーの詩を彼が訳した「風たちぬ いざ生きめやも」がもとになっていますが、宮崎監督はこの作品に「生きねば」と強いメッセージを込めます。

 

物語は、零戦の設計者堀越二郎の半生に堀辰雄の「風立ちぬ」や「菜穂子」を重ね合わせ構成されています。背景として、関東大震災世界恐慌ファシズム第二次世界大戦そして敗戦と激動の時代があるのですが、それが主になることはありません。飛行機好きの少年二郎が、夢の中でイタリアのカブローニにインスパイヤーされ飛行機設計技師になり、自分の理想としていた飛行機(戦闘機)を完成させるまでの悪戦苦闘を、薄幸の女性菜穂子との恋愛を交えながら描きます。

 

宮崎監督が飛行機好きなのは、「ナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「紅の豚」などからも明らかですが、空中戦の場面などはありません。さらに零戦開発物語かと思いきや、そのもととなった二郎の理想とする美しいフォルムの飛行機(九試単座戦闘機)の設計がメインになります。この戦闘機は、20年遅れているといわれていた日本の飛行機技術を一気に世界水準に押し上げ、追い越すというエポックメーキングとなった機体だそうです。零戦にスポットを当てないところが宮崎監督らしさなのでしょう。

 

それでもやはり疑問は残ります。飛行機の重量をもう少し軽くしたいと悩む場面で、機関銃を乗せなければと解を出しますが、周りから笑いがおきます。彼の造る飛行機は、人を殺す武器としての戦闘機です。物語ではこのことは後景化され、美しいフォルムの飛行機を造ることに純化されます。これって偽善ではないかと思わなくもないのです。この辺の矛盾を孕みながらのストーリー展開は難しかったと思います。答えは最後の戦闘機の残骸でしょうか。また、決して好戦的で戦争マニアではないということなのでしょう、二郎は、三菱内燃機のエリート技師なのですが、憲兵から追われもします。何故?よくわかりません。

 

ともあれ並行的に描かれる菜穂子との恋愛物語は切ないですね。出会いと再開、そして風が立ちます。成り行きとして婚約へと進んでいくのですが、彼女の病(結核)は重くなり、富士見高原のサナトリウムでの治療を余儀なくされます。治らないと悟った彼女は、サナトリウムから無理して名古屋まで出てきて、命を削りながらも正式に夫婦になるのです。上司黒川の家の離れで暮らし始めますが、この時の祝言や初夜の場面は涙なくして見られませんでした。彼女は死を見据え、愛する人のそばに身を置き、愛する人が仕事をやり遂げることを肌で感じ、そして自分の生に決着をつけるかのようにサナトリウムに戻ります。悲しいですね。エンドロールにはユーミンの「ひこうき雲」が流れますので、魔女の宅急便やさしさに包まれたなら)同様、明るく終わります。上質な大人のまんがを見た感じでした。

 

ところで今日8月6日は、広島の原爆忌です。今朝の東京新聞の社説に、峠三吉が原爆詩集を御庄博実さんに贈呈したとき、「風たちぬ いざ生きめやも」と、書かれていたと紹介しています。何があろうとも、私たちは生きねばならないし、行き続けなくてはならないということでしょう。(今仁@3.11市民ネット深谷)