3.11市民ネット深谷のブログ

脱原発をメインにメンバーが気の向くまま書きます。

想像ラジオ

いとうせいこうさんの「想像ラジオ」が芥川賞の候補になり、落選したとの報道に接し、彼が作家だったのかとあらためて認識した次第です。みうらじゅんさんとの軽妙洒脱な会話がおもしろいザ・スライドショーなどしか知らなかったため、彼のことは電波芸人かはたまた何とかクリエーターとか、テレビ周辺に巣くっている輩かと思っていました。彼は、ここ十数年全然書けなかったそうで、ある人に背中を押されてみたいな記事を読んだ覚えがあります。ともあれ、2011年3月11に発生した東北地方を中心とした未曾有の大震災が、ペンを走らせたのは間違いないでしょう。

私は、3.11の経験が文学にどのような影響を与え、作家はどのように表現するのか注目してきました。このブログでも少しずつ紹介していこうと思っています。今回は比較的新しい作品を選んでみました。原発事故のこともモチーフになっているのですが、主眼は行方不明者を含めると2万人を超える死者です。その死者たちと私たちはどう向き合ったらいいのでしょうか。ほとんどの場合、時の経過とともに忘却の彼方へと忘れ去られてしまうと思います。

本作品は、町を見下ろす小山に生えている杉の木のてっぺんに仰向けに引っかかっている(津波の犠牲者)DJアークが、自分自身や家族と向き合い、リスナー(死者)とのやり取りを通して、そこに存在したであろうそれぞれの人の世界を描き出しています。2万人には2万通りの生活があり、人生があるわけです。作者はその延長線上に広島、長崎、東京大空襲そしてボスニアヘルツェゴビナの内戦まで思いを馳せます。

2万人を超える3.11の犠牲者を前にすると、私などは、ただただ立ちつくし思考停止になってしまいます。いとうせいこうさんは、DJアークとリスナーという仕掛けを編み出し、生き残っている私たちと変わらぬ普通の生活を送っていたであろう犠牲者を活き活きと浮かび上がらせました。読み始めてすぐに思ったのですが、私はこのような小説を待っていた気がしました。

一部引用します。
「死者と共にこの国を作り直して行くしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなったゃったんだ」
「・・・・いつからかこの国は死者を抱きしめていることが出来なくなった。それはなぜか?」
「声を聴かなくなったんだと思う」
「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当に正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」

原発事故に限っても、
・子どもの甲状腺がんの発生が異常な値を示しているのに原発事故との関係はわからないとする人たち
・放射能汚染されている大地に線量が下がったと帰還させよとする人たち
・高濃度汚染水問題など、事故処理がますます難しくなっているのに収束宣言してしまった国
・こんな状況なのに再稼働を目論む人たち
・国内が駄目なら海外へと無責任にも輸出を推し進める人たち

原子力発電という仕組みが人知におよぶところではないことがばれてしまったのに、それでも厚顔無恥にすがりつき、その利権に群がる人たちや核兵器を持ちたいと下心見え見えな政治家たち、彼らにこそ読んでいただきたい一冊だと思います。

「死者と共にこの国を作り直して行くしかないのに、まるで何もなかったように事態にフタをしていく僕らはなんなんだ。この国はどうなったゃったんだ」

そうなんです。全人類へのメッセージでもあると思います。

(今仁@3.11市民ネット深谷)