3.11市民ネット深谷のブログ

脱原発をメインにメンバーが気の向くまま書きます。

「原発ホワイトアウト」 若杉 冽 著(講談社)

巷で話題の「原発ホワイトアウト」を読みました。小説としての出来は今ひとつの感は否めませんが、告発本としては第一級のものでしょう。なんせ現役のキャリア官僚が書いたということで、リアリティがあります。原子力ムラの隠れた実態を曝してくれますので、脱原発派は必読かもしれません。

ところで、「ホワイトアウト」というと、私は織田裕二主演の映画を思い出します。どう考えても2流作品ですが、妙に印象深く、心に残っています。というのは、ここのところは曖昧なのですが、ヨーロッパからかアメリカかからか帰国の飛行機の中で、前席の背もたれに付けられたあの小さなモニターで見たので、記憶にあるのかなと思ったりするのですが、やはり映像の方だと思います。雪で視界がまったく効かない極寒の地の死闘なんですが、日本映画らしからぬ迫力を感じました。奥只見ダムを髣髴とさせる巨大ダムが、テロリストに乗っ取られ政府にお金(いくらだか忘れました)を要求します。ダムの社員(おそらく東電)である織田裕二と佐藤浩市率いるテロリストグループの闘いは、ハリウッドのアクション映画さながらです。

このホワイトアウトという言葉を作者は原発に使います(映画から取ったというより気象現象だとは思いますが)。全体の構図は、テロで柏崎刈羽原発が全電源喪失による非常事態に陥るというものですが、内容は、おそらく原子力ムラの中核をなすだろう輩達の暗躍と、原子力行政が彼らによってねじ曲げられ、如何に再稼働に進んでいくかという物語です。

端から見ていても、原子力ムラのドロドロした実態は、何となくイメージされますが、具体的に提示されるとなんともやるせない思いとなります。ストップしている原発の再稼働にむけて原子力推進派はしたたかです。この小説では、そのしたたかぶりを電力会社、業界団体、政権政党、霞ヶ関官僚が一体(絶妙に連携もして)となった姿で描きます。彼らにかかったら脱原発派など簡単にねじ伏せられます。どんな障害をも蹴散らし、彼らを再稼働へと猛進させる原動力は何なのでしょうか?それは、既得権益の維持なのかも知れませんが、とどのつまりは「金」なのだと思います。その「金」を生み出す仕組みとして、悪名高い電気料金の総括原価方式があります。ここではさらに突っ込んで、原子力モンスターシステムという具体的な仕組みが説明されます。ようは電力会社・電力業界の錬金術のことです。

原資は電気料金です。簡単にいうと発注を2割ほど高くして、その一部を預託金としてプールします。その金を原資にして、様々なところに鼻薬を効かせるということです。なんせ落選した議員の再就職先まで世話をします。そして天下りに、請求書のつけ回しなど何でもありです。彼らは、このモンスターシステムを維持することがすべてであり、都合が悪ければ知事まで嵌めてしまいます。福島の佐藤前知事がそうであったように、ここでは新潟の泉田知事と思われる新崎県知事が逮捕されます。

私たちは、ここで描かれる連中、連中といっても政権党、族議員、電力会社、業界団体、官僚などを相手に脱原発運動を行っていることになります。しかし震災以降、大飯原発を足がかりに一気に再稼働へと進まなかった理由を考えると、いろんなことがばれてしまったことなどにあると思います。原子力ムラや総括原価方式だけでなく、放射能がそもそも人間の手に負えないものであること、安いという宣伝文句が見せかけであること、地球温暖化に対しても原子力発電所から流れ出る大量の温排水の事実、なにより原子力発電所がなくとも電気は足りていることなどです。そして、15万人が避難している現実、フクイチの周辺や線量の高い地域にはおそらく戻れないだろうという推測、なんといっても官邸前抗議を中心として、日本中に広がったまったく新しい形の市民運動の存在があると思います。

原発ホワイトアウトではこの辺については、旧態依然たるパターンで国家権力に簡単にねじ曲げられてしまう存在として描かれます。しかし、政党や政治団体、労働組合原水禁などの既成団体とまた違った形で声を挙げ行動し始めた有象無象たちとその影響力に恐怖しているのは、イシバだけでなく原子力ムラ総体なのだと思います。(今仁@市民ネット深谷)